最近よくチェックするWEB漫画がある。
いや、WEB漫画は常にチェックしているので、「更新日を楽しみにしている漫画」があると言い換えよう。
タイトルは「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」という漫画。
まとめサイトなどでもたびたび話題になる作品だ。
無料で読める場所はガンガンオンラインというサイト。
私はこの「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」という漫画を、以前は苦手に思っていた。
なぜなら、主人公の女の子がぼっちコミュ障でなおかつ、やらかしてしまうタイプのキャラクターだからだ。
読んでいて非常につらい……。
だが、それもこの漫画が修学旅行編に入るまでの話。
修学旅行編から後は、少しずつ友達が出来てきて学校生活がよくなっていく。
その中で、主人公の友人となるキャラクターに注目したい。
その名は「田村ゆり」という、黒髪でおさげ、イヤホンをして他者を寄せ付けないたぐいの、これまたコミュ障だ。
私はこの女の子が非常に気になっている。なぜかと言えば、田村ゆりというキャラクターが、自分と同系統のコミュ障だから……。
田村ゆりは内向的性格のコミュ障
喪137話と喪138話あたりを読んでいて確信したが、田村ゆりちゃんは自分と同じ、必要なこと以外はしゃべらない内向的性格のコミュ障だ。
この類のコミュ障は、必要なことはすんなりと話すことが出来る。先生に「誰々をよんできてくれ」と頼まれれば、その相手と必要な会話をすることが出来る。
田村ゆりも、もこっち(主人公のあだ名)と大学見学に行った際の昼食で、店員に注文をすることはできていた。注文の際にもこっちが、ゆりちゃんに頼っている描写は細かくて面白い。
タイプ別のコミュ障を描き分けているという点で興味深い。
「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」の作者はなぜこうも、ぼっちコミュ障の内面を細かく描けるのだろう?本人もぼっちコミュ障じゃなければ、ここまで正確な描写は出来ないだろうと思う。
とくに、内向的性格のコミュ障は、考え方がまわりとだいぶ違う。
外向的な性格の人間とは価値観が合わないので、運動会での無駄なテンション上げや、合唱コンクールでの無駄な連帯感、卒業式で涙をながす人たちとの共感がまるでできない……。多少の理解はできる、たぶん。
普通の人間たちと理解しあえないため、「普通の人間」では、この類のコミュ障の心理描写は難しいはず。
なので、作者も少なからず、学校などの集団生活の場で生きづらさを感じてきたのだろう。
「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」には、ぼっちコミュ障に関しての妙な生々しさがある。
コミュ障、田村ゆりちゃんとの出会い
田村ゆりが主人公と接点を持ち始めるのは修学旅行のグループ決めのとき。
何人かでグループを決めるシチュエーションは、どんな「学校もの」でもあるが、読んでいて昔を思い出す。
私の場合は、主人公の「もこっち」ほどのぼっちではなかったが、好きなもの同士で決めるグループ作りには、仲間外れにされるのではないかという恐怖が、少なからずあった。
この漫画、「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」を、私がじっくりと読みだしたのは修学旅行のグループ決めからだ。
この時から、「田村ゆり」というキャラクターになにか、自分と同じような雰囲気を感じていた。同じたぐいのコミュ障の可能性を。
田村ゆりは、友達が完全にいないというわけではない。修学旅行の班決めの際に、唯一の友人に約束を反故にされたため、主人公のグループに入れられたのだ。
主人公「もこっち」のあまりものグループに……。
田村ゆりは登場当初は、机につっぷしてイヤホンで音楽を聴いているタイプの少女だった。
別に音楽が好きとかではない。自分の心と周りの環境を断絶するために、イヤホンをしているのだ。
それは後々、この漫画を読んでいくとわかる。まるで学生時代の自分そのものだと感じて、なんだか、こう、何とも言えない気分になった。
イヤホンで流している曲事態に意味はない。多少の好みはあっても、曲を聴いてその世界観に浸るためにイヤホンをしているわけではなかった。
田村ゆりというキャラクターも恐らく、そのタイプ。
私の場合、イヤホンをしているのは他人に話しかけられたくないという理由だった。他人と何を話せばいいのか分からないから、話さなくていい理由作りとしてイヤホンが周りとの壁の役目をはたしていた。
登場当初の田村ゆりは、イヤホンをして周りを断絶しているが、主人公たちと接点を持つようになってからは、イヤホンをほとんどしなくなった。
このタイプの内向的コミュ障は根本的には人が嫌いなわけではない。まわりと共感できない自分が、まわりから仲間外れにされる前に、自分からまわりを遠ざけてしまうのだ。
喪136話では、みんなが感動している漫画に共感できずに、疎外感を感じている。これに関しても私と同類だと思い当たる節がある……。
田村ゆりと、ほとんど同じようなことを考えていた時期があるから、この漫画のぼっちコミュ障描写はすごいなと思った。
田村ゆりには、主人公というよき理解者がいるから、割とましな人生だろう。
多くの内向的性格のぼっちコミュ障は、良き理解者との出会いはないといっても過言ではない。
運が良ければ出会えるだろうが、外向的性格の多くの普通の人々よりも、他者と理解しあえる場は少ないのである。
田村ゆりちゃんの心理を探る
田村ゆりちゃんは内向的性格のコミュ障だというのは、わかっただろう。
コミュ障の描写が細かいし、共感できる部分が多々あるのでまず間違いない。
田村ゆりちゃんは内向的性格のコミュ障だ。
喪137話で女子グループとお茶会をする話でも、田村ゆりちゃんのコミュ障ぶりがうかがえる。
女子たちのお茶会に誘われた主人公が、行くかどうか迷っているときに田村ゆりちゃんに一緒に来てくれないかとたずねる。
内向的性格の人間は、誰かが自分に頼ってくれていると感じると、苦手なことでも意を決してやってみようとするのである。
田村ゆりちゃんも、妙な使命感をもってお茶会に参加する。
だが、意を決して参加したとしても、お茶会を盛り上げることはしない、いや、出来ないのだ。
顔見知り程度のクラスメイトに話しかけられても、話がうまく続かないゆりちゃん。
内向的性格のコミュ障は、気心の知れた相手以外とはうまくしゃべれない。
なぜなら、相手との距離感をうまく測れていないから。どんな口調でどんな話をすればいいのかつかめていない。なので、ぶっきらぼうな事務的な対応になってしまう。
相手からしたら、自分のことを嫌っているのか?と勘違いされてしまう対応なので意識的に直さないとまずいことになる場合もある。思い当たるなら注意した方がいい。
田村ゆりちゃんも、あまり親しくない女の子たちに答える際は、短い単語だけで会話している。
「え?」「そっか」「そうだね…」「あっ だ 大丈夫」
くらいしか話していない。しかも「あっ だ 大丈夫」の部分は、突然話しかけられたので会話として上手く成立していない。
話しかけた加藤さんという女の子が空気を読める人間だから何とかなった。あげあし取りだったら、口撃されかねない対応だ。
加藤さん「田村さんも一口食べてみる?」
とのパンケーキを一口食べるかの問いかけにたいして「あっ だ 大丈夫」との返答はいささかまずい。
いきなりの問いかけに、覚悟を決めていないコミュ障はうまく対応できない。自分に話しかけることはないだろうと、ぼ~としているのだから仕方がない。自分も思い当たる節が……たくさんある……。
自分が話しかけられる心配はないだろうと考えて、緊張感が和らいでいる。
そんなときに突然、他愛のない話をふられると、うまく言葉をつなげられない。これはコミュ障あるあるだろう。
お茶会のあいだ、ゆりちゃんはじっとカフェオレをのぞき込んでいる。
周りが話している内容にはしっかりと聞き耳をたてているが、話にうまく参加できないので、カフェオレを見ているのだ。
主人公が加藤さんにオープンキャンパスに行こうと誘われた時、ゆりちゃんはぎょっと目を見開く。
これは、自分との約束(同じ大学に行こうと言った)が破られそうになったため危機感を覚えての表情。トイレまで主人公を連れ出して約束のことを話すのは、約束の確認をどうしてもしないと気持ちがおさまらないからだろう。
それに、ゆりちゃんは一度親友に裏切られている。修学旅行のグループ決めの際だ。
その裏切られたという気持ちを、もう一度味わいたくないゆえの行動ではなかろうか。
ただ、内向的性格のコミュ障は約束をしっかり言葉にしていない場合が多い。今回のゆりちゃんも、ただの会話の中でかってに約束を取り交わした気になっているのである。
内向的性格のコミュ障は、口にした言葉、された言葉をよく覚えている。
人と話すことがあまりないため、気心の知れた相手との会話は、些細なものでも大事に覚えているのだ。
今回のゆりちゃんもそれで、主人公自身はまったく覚えていなかった。
約束するときは「約束だよ」と言葉にして念押しすることが大事。言葉の流れで約束した気になってはいけないのだ。
その後の田村ゆりちゃんの表情もかわいくて良い。
加藤さんとオープンキャンパスに行くときの服を買うのに付き合ってと言われた時の顔。
いろいろと言いたいことはあるが、言葉にしないゆりちゃん?不満がどす黒い瞳に宿っている。
田村ゆりちゃんの今後
主人公のもこっちと、ふたりで大学見学に行った後。そこから、もこっちの中のゆりちゃんに対する存在価値が上がったように思う。
大学見学に行く前は、カレンダーに大学見学と大きく文字を書いて、その後に小さな文字で田村さんと書かれていた。
主人公からしたら、田村さんは友達だけど重要度が低かった。ゆりちゃんからしたら、主人公は大事な存在になっていて、依存度があがっているのが周りからもよくわかる。だが、主人公はそのへん鈍感で気づいていない。
田村ゆりちゃんとの大学見学の後では、もこっちはちゃんと心の中で「ゆり」と名前で呼んでいる。
今までは、心の中でゆりちゃんのことを考えるときは、顔の絵で考えていた。
いつも学校で一緒にいるけれど、それほど浸しい関係だと認識していないから、顔のイメージで考えていたのだろう。
それが下の名前呼びになったので、もこっちの中でゆりちゃんの存在価値が確実に上がったと言える。
ゆりちゃんも、大学見学が終わった帰りの電車で、主人公に名前を呼ばれてうれしかったことだろう。
今まで下の名前やあだ名で呼んでくれなかった友人が、名前をちゃんと呼んでくれた。
ゆりちゃんはうれしくて、帰った後に何度も何度も思い出しながらベッドでゴロゴロしていたに違いない。枕をぎゅっと抱きしめながら。
同じタイプのコミュ障として、田村ゆりちゃんには幸せになってもらいたい。
私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!おしまいに。
コミュ障の心理描写や行動描写が非常に上手いので、この漫画「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」をガンガンオンラインでぜひチェックしてみて欲しい。
ガンガンオンライン「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」のページ
もちろん最新話は無料で読める。1話などの最初の方も確か読めるはず。
ただ、まったくこの作品の最初を知らない場合は、やらかし系ぼっちの主人公にかなり驚かされると思う。
私がちゃんとこの漫画作品を読めるようになったのは修学旅行編からなので、修学旅行が始まるあたりの巻から読んでみてはどうだろうか?
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修学旅行編が始まるまでは、結構きつめの話が続きます。別に主人公はいじめられているとかそういった話ではありません。
ただ、主人公のやらかし具合に心が「ギュッ」と縮こまるだけです。
以前の私は、いや、今でも「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」の最初の方を読むとき、恐る恐るページをめくるほどです。
そういった、やらかしちゃう主人公が、だんだんと成長していく漫画が「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」です。
最初のころと違ってだいぶ成長していますよ主人公のもこっちは。
空気も読めるようになったし、相手の気持ちをくみ取る力もついてきました。
修学旅行編から作品の雰囲気が変わるので、賛否がわかれているようですが、主人公の成長物語として読むとけっこうおもしろいです。
なので、読んでいない場合は修学旅行編からだけでもいいので読んでみて欲しい漫画作品です。
自分が内向的性格のコミュ障だと思う方にもおすすめです。コミュ障の行動と心理描写が上手すぎて、たまにドキッとします。
思い当たるならば修学旅行編から読んでみましょう。おしまい!
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